プロフィール
PROFILE
1936年堺市出身、堺市立福泉小学校・中学校卒。中学校卒業後、実家の理髪店で働きながら漫画を描き始め、1955年に『空気男爵』でデビュー。その後、劇画という新ジャンルを確立し、分業制を取り入れるなど漫画界に革新をもたらした。
連載50周年超、単行本発行巻数世界一を達成した『ゴルゴ13』や、『鬼平犯科帳』『サバイバル』『バロム・1』など著作多数。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章を受章。2012年に堺名誉大使就任。
2021年9月24日没 (享年84)
さいとう・たかをと堺の関係
RELATION
さいとう・たかをは幼少期から中学3年生までを堺市で過ごした。
本人曰く、“とんでもないワル”だったという。ここでは、その頃の思い出や今も続く同級生との交流など、
堺市でのエピソードをご紹介する。
いてまえ武尊【自伝的劇画】
小学校に入り、堺に転居してきたさいとう・たかをは、いじめっ子を倒したことをきっかけに悪ガキ大将に。この「いてまえ武尊」は堺で過ごしたさいとうの自伝的劇画である。絵を描く真っ白い紙を手に入れるため、危険を冒してまで米軍基地に忍び込んだエピソードは嘘のようで本当の話である。
福泉中学校【恩師との出会い】
中学時代に恩師「東郷先生」と出会う。
「白紙で出すのは君の意思だからかまわない。しかし、答案用紙を提出するのは君の義務だから、その証明として名前を書け。」
人間の約束と責任について考えさせられることになったその言葉はさいとうの心に深く刻まれた。ゴルゴ13の主人公「デューク東郷」はこの恩師から名付けられたのである。
鶴田池【絵の師匠との出会い】
遊び場だった鶴田池のほとりで、絵の師匠と出会う。師匠に言われた言葉は、さいとう・たかをの劇画家としての人生に大きな影響を与える。「線を引くときに、人肌の線、鉄みたいな線、そういうことを考えながら引け。」線ひとつで多彩な表現ができるというその教えはさいとうを支え続けた。
山田温泉【2作目の単行本のモデル】
当時さいとう・たかをが住んでいたあたりには山田温泉という割烹旅館があった。裕福な人しか訪れることができない高級な場所だったという。ここは、さいとう2作目の単行本である「幽霊館」のモデルになった。残念ながら今は取り壊され、源泉のみが残っている。
ゴリラ古巣に行く
1960年、さいとう・たかをが故郷のまちに訪れた様子を描き下ろしたもの。
同級生とのエピソードや恩師東郷先生の写真などが掲載されている。
※「さいとう・たかを劇画マガジン」(昭和35年刊)に掲載されたと思われる企画ページ
日本料理 大金樓
以前は年に数回堺市に帰り、小学校の同級生と会っていたというさいとう・たかを。ここ、大金樓は同窓会でよく使う場所の1つ。店内にはサインが飾られている。
作品案内
WORKS